僕がアニマスを純粋に楽しめなくなった理由

映画の番宣もあってか、最近テレビでネットでやたら頻繁にアニマスの再放送を見かけます。
放映当時にはもう飽きるくらい繰り返して見ていたんですが、
久々に見てみるとやっぱりよく出来てるなーと感心するとともに、
昔と違って、いろいろ不満が浮かんできて素直に楽しめなくなったことを実感させられるのよね。

アニマス放送当時に書いていた感想記事を見返していると、
今の自分では信じられないくらいポジティブで賛美の言葉ばかりが並んでいました。
当時あからさまに苦言を呈していたのは16話の出来と露骨な真優遇くらいでしょうか。
ところが、放送終了後に書いた振り返り記事では、一転して愚痴や不満が多く見受けられるようになり、
今はそれがもうちょっと加速してる感じになっています。
ただ目の前にあるものを楽しみだけだった放送時と、一通り見て全容を把握した後の違いというのもあるでしょうが、
それよりももっと大きい理由は、時が進むにつれてアニマスの影響力の強さを実感していったからなんですよね。

ゲームと、それを基にして盛り上がってきて二次創作を中心にアイドルマスターと関わってきた自分にとって、
アニマスというのは、あくまで「原作たるゲームから派生した二次創作みたいなもの」的な位置づけでした。
だから多少オーバーだったり自分のキャラクター観と違っていたりする描写があったとしても、
「ま、そういう描き方もあるわなー」と、普段ニコマスで二次創作を見ているときのようにサラッと流して楽しめたんですよね。
ところが、アニマスの人気とアニメというメディアの力は僕が想像していたよりもずっと大きかった。
今やアイマスファンの多くにとっての原典がアニマスとなり、
公式の販促もすっかりアニマス一色、今度出るゲームもアニメの影響下にあるようで。
最早元になったゲームを超えて、完全にアニマス765プロ側の中心に座ったように思えます。
そうなると、僕のアニマスに対する見方も変わらざるを得なくなっていました。

ゲームとアニメの違いや、26話で13人のアイドルを描く事情なんかもあって、
アニマスだとどうしても、
オーバーに描写される子(ex.雪歩の男嫌い)、
描写が浅い・一面的な子(ex.動物ネタばかりの響、シリアス分が少ない貴音)
シナリオ上の役割を背負わされる子(ex.「リーダーで中心」の春香、10話等のやよい)などなどが出てきちゃいました。
僕の中ではそれは仕方ないものだとしてある程度納得していたんだけど、
アニマスの影響力の関係上もはや自分個人の受け止め方どうこうだけでは済まなくなって、
特に、多数の新規層にとってはこのアイドルたちがオリジナルになるのだと思うと、そしてこれがアイマスの中心として拡散されるのだと思うと、今まで見過ごせていた部分が見過ごせなくなったわけです。

僕は雪歩派なので、雪歩を例にとって語ってみると、
3話の過剰な男嫌い描写はやりすぎじゃないかなとか、
15話の真への「誰望誰得」発言に「こんなこと言って押してくる子だっけ?」と違和感を覚えたりしました。
けれどまあ、そういう想いはニコマスで散々味わってきましたし、
「ここでどう描かれようと、自分の中の雪歩はこういう子だから」で済むんですよ。
でも、多くの人があれをそのまま萩原雪歩として受け取ってしまうのだと考えると、やっぱり面白くないわけですよ。
別に、そういった面も含めて雪歩の事を好きになってくれたのなら構わないんですよ。
どういう形であれ、単純に雪歩の事を好きになってくれる人が増えるのは嬉しいし、
それに元々公式からしてぶれぶれのコンテンツだから、自分の雪歩観が絶対だなんて風には思ってないもの。
ただ、あれらの描写を理由にして雪歩に苦手意識を持たれたり、こういう子なんだなって決めつけられたりしているのを見かけると辛い。そしてどうしても、そういう描写をしたアニマスのせいで……と考えてしまうんです。

でもね、繰り返すようだけど、26話で13人もキャラがいたらカバー仕切るのなんて不可能だろうし、
記号化や役割固定を抑えてひたすら丁寧に忠実に…なんてやってたら、作品としてはもっと大人しくてつまらないものになっただろうってのも理解してる。
そりゃ「ここはもうちょっとどうにか出来ただろう」「これはマズいだろ」って部分も間違いなくあるんだけど、
それでも、微妙な描写に一々ささくれ立ってる今の自分の見方はやっぱり過剰反応すぎるのよね。
その自覚がありながらも、納得のいかない描写を見ていて「これがそのアイドルの人格・行動として共通認識を持たれるのか」と思うと、やっぱり不愉快な気持ちを抑えられない。
10話を見ていると「やよいがここで折れちゃう、歩いちゃうような子だと思われるのか」と、
15話を見ていると「雪歩がこんなに真の男装に食いついて、しかも相手の気持ちを無視して押し付ける子と思われるのか」という思いが込み上げてきて、話を楽しむことを阻害してくる。
こうして、僕はアニマスを純粋に楽しむことが出来なくなったわけです。

たぶん、他のファンの印象だのコンテンツへの影響だのなんてめんどくさい事を考えないようにすれば、もっと気楽に楽しめるはずなんですよ。
僕個人の評価としては、アニマスは余裕で合格点をあげられる出来栄えですし。
でも、やっぱりそういうわけにはいかなくて。
「この描写でその子がどう思われるだろう」とか「人気にどう影響するだろう」とかを意識の外に置いてアニマスを見るというのは、もう今の僕には不可能なのです。
それは何だかんだ、自分も「プロデューサー」の端くれとして、ただ彼女たちを外から眺める以外の視点を持っているってことなのかなあ……なんてw
いちいちこういうこと気にする傾向は、明らかにアニマス放送後から強くなってきた気がしますね。
全く、めんどうな視点を発掘してくれたものです。

と、まあこんなところで。
いよいよ映画公開も間近に迫ってきたこともあって、
劇場に足を運ぶ前に、一つ胸のつかえを吐き出させていただきました。
映画についても、アニマススタッフならまあ大きく外すことはないだろうと信頼を置きつつ、
一方でどっかで引っかかる点が出てくるだろうなというのも予感、いや確信しちゃってます。
もう絶対「100点満点の出来だった! 最高!」とか言うことはあり得なくて、
微妙なモヤモヤを抱えたまま観終わって、ここで感想を書くことになるんだろうなと思うとどこか気が重い。
でも自分個人としては大好きな作品なのでやっぱり楽しみでもあって。
そんな複雑な胸中で、公開までのカウントダウンを眺めている今日この頃です。

あ、あとついでに一つ宣伝しておくと漫画ざわわんが、
雪歩が図太く成長して思いやり溢れるユニットの調整役になったり、
動物ネタ以外の響のいろんな側面が描かれてたり、
プロデューサーとしての律子がしっかり描かれていたりと、
アニマスで僕が不満に思った点をことごとくカバーしてくれています。
もちろんどっちの描写が絶対的に正しいということはありませんが、
アニマスしか知らない人は是非こっちも読んで、別のアイドルの姿も見てほしいなと思います。