続・劇場版アイマス談話

先日の感想記事にいただいたコメントに返信したり、
他の方々の感想を読んだり、ひたすら考えをこねくりまわしたり。
そんな感じでここ数日アニマス映画の事ばかりが頭を埋め尽くしていて、何も手につかない状態が続いてます。
これはアカンということで、公開から少し経って膨らんだり整理したりしたことをもうちょい付け足して語っておこうかなと。
たぶん春香伊織可奈志保辺りの話が中心になります。後もちろんネタバレ有り。

とりあえずこの間の感想を書き終わった後、ようやくミリマスの子達の設定を学習してきました。
(といっても、公式ページとニコニコ大百科を読んだくらいなんだけど……)
一番以外だったのは、北沢志保が演技に熱意を注ぐVi系アイドルである一方、体を動かすのは不得手でダンスがネックになってるってことでしょうか。
Vi系ならいおりんとのビジュアルコンビいけるやん!……じゃなくて、「えっ、この子ダンスあかんかったの!?」と。
態度デカいし発言力あってストイックなキャラだし、何となくあの面子の中で一番出来る子なのかと思い込んでました。あんまViアイドルって感じもしなかったしね。
ミリマス勢の設定がどこまでちゃんとあの映画に反映されてるのかは分かりませんが、どっかで「志保がライブシーンのときダンス遅れてた?」みたいなことも書かれてたし、そこも踏まえたうえで作られてると解釈する方が妥当かな。
出来る子側の他2人はDa系アイドルなんで、その2人の側に立つために必死に食らいついてたのかもしれませんね。
それならまあ、MUSICライブで失敗した後の可奈にああいう言葉をかけるのもより理解できるというか。いやあそこの可奈の姿勢は別に悪くないけどね。
あと、そんな彼女の理解者ポジションになるのが伊織だったことの意味合いもまたちょっと変わってくるよねという。
「あの立ち位置は千早でもよかったんじゃないか」って意見もあったけど、
志保のあの態度が自分の能力への焦りに由来するものなら、天才タイプの千早じゃちょっとキツい気がする。
千早も歌以外の仕事とか笑顔の作り方とか人間性的な面で壁にぶつかってはいるけど、ステージでは歌という絶対的武器があって、ダンスとかも何気にソツなくこなしてるからね。それに悩みの主題がそこに置かれてる子じゃないし。
美希も得意の超知覚で志保の危うさを察してたけど、まああの子は言うまでも無くもっと向いてないでしょう。
その点伊織はアイドルになる動機が「自分を認めさせること」だし、それに僕の中の伊織は「美希の天才っぷりなんかと自分を比較してぐぬぬ…ってなりつつ、虚勢を張って自分を鼓舞するタイプの子」なのでとてもスッと腑に落ちました。
伊織はアニマスだと竜宮の流れに乗ってスムーズに成功しちゃって、2話のれっつごーあだると事件以外はあんまり失敗や弱さを見せていないようだったんですが、志保を鏡にしてアニマス伊織にもいろいろそういう葛藤があったのだと膨らませていると滾るものがあります。

にしても、改めて振り返るっても今回の伊織はどんだけ先を見越してたんだろうかと。
例えばミリマス組のダンスをどうするかで真と言い争ってるシーンのとき、
アニマスでは恒例になっていた2人のケンカップル関係もあって、「弱者を優しく庇う側の真と、厳しく引っ張り側の伊織」という対比構造くらいにしか見てなかったけれど、やっぱりあのときの伊織はもっと大局を見て動いてたんじゃないか。
「ここで妥協したら765アイドルにもバックダンサーの子たちにもしこりが残る、未来に繋がらない結果になる」そういう結果を見越していたからこそ、厳しい側の代表に立てる身として振る舞ったんじゃないかなあ……とか。
他にも今回の伊織は明らかに春香があの結論を出すまでのお膳立てと調整に努めていた感があって。
お泊りシーンで出来る側と出来ない側を自分の家と雪歩の家に分けたのも実は伊織の仕業なんじゃないかとか、そんなところまで穿った目で見てしまうw
もちろん、今回の問題の状況と向かう先を見越していたのが伊織一人だけってことはないと思う。
少なくとも美希は感覚で察していただろうし、他の皆もどこまで意識していたかの差異はあるにせよ、「全員が春香を信頼して、春香が答えを出すときを待っていた」って状態だったのではないかなー。
ただ、それを実際に口にしたのは一部で、さらにそのためにバリバリ行動していたのが伊織だったから、あの子が際立ってるのよね。
各個人の考えや問題の本質を捉える想像力と洞察力、それを理屈として組み立てる賢さ、一歩引いて見れる冷静さ、そして今なすべきことを実際に行動に移せる実行力と発言力。それらを全部兼ね備えていたのがあの世界の中では水瀬伊織であり、だからこそあれだけの役割が回ってきたんだろうなあ。
一つ気になるのは、もしあの場に律子が“アイドル側として”居たらどうなってんだろうなあと。
あの子がいたら、伊織の役回りやその背負い方も少し違っていたんじゃないだろうかという気がする。
まあ律子がアイドルしてる=竜宮小町が存在しない世界線と仮定したら、そもそも公式であの伊織が描き得たのだろうかという話になるので、あくまで個人的な妄想のレベルでの話なんだけど。

そんなこんなで、今回伊織は物凄い有能っぷりを発揮していたわけだけど、
じゃあ伊織がリーダーならもっとスムーズに事が運んでいたのかというと、あまりそういう風には思えなくて。
竜宮みたいなビジョンを共有する一ユニットを引っ張っていくには最高のリーダーだと思うんだけど、
あのそれぞれいろんなものを抱え込んだ19人の多胞体を、可奈も志保も他の皆も全員揃って最高の未来へって形にもっていけるのは、何だかんだでやっぱ春香さんしかいないんだろうという予感がします。
もちろん春香も一人で今回の問題をどうこうできたわけじゃない。
伊織がいなかったら志保を導いてあげられなかったかもしれないし、そもそも途中で破綻しちゃったかもしれない。
雪歩も出来ない子サイドをフォローしたし、他のアイドルたちもきっと見えないところで支えてくれていたんだと思う。
ただ、そんな中で春香が中心に座っていて、不器用ながらもそのひたむき姿勢をもってして最終的に皆を導き道を照らしだすからこそ、皆があそこまで一つにまとまることが出来るんだろうなーと。
可奈のアイドルへの気持ちを呼び起こし、志保にその重みを実感させた春香。
そこには何か理屈を超えた力が作用しているようで、それが春香のセンター・リーダーとしてのある種のカリスマ性なんだろうなと。
それは秀才タイプの伊織には持ち得ないもので、だから伊織は今回春香に道を用意する役柄に徹した。
ベクトルの違うカリスマである美希にも無いもので、だから美希は春香をライバル認定する。
この映画も含めて僕は何度か、「アニマス春香は作品のテーマや物語を表現するための犠牲になっている」と表現してきました。
でも一方で、これまでPとアイドル1対1のゲームにおいて「メインヒロインとして」中心に収まっていた彼女が、
アニメで集団の中心たる資質を得たことで、ついに天海春香として」中心に立てるようになったんじゃないか。そういう得たものもあったんだなということに気づくようになりました。

さて、どっかで可奈の話に移ろうと思ってたんだけど、ここまで完全にタイミングを逃してしまったw
さっき志保が必死に苦手なダンスに食らいついていたのかも、みたいな話をしましたが、そういうとこも含めて同年代である彼女と比べると可奈はやっぱり浅い・覚悟が足りない……そんな風に映っちゃうかなと。志保も別角度でそういう面はあるんだろうけど、可奈のがもっと分かりやすくそんな感じ。
でも、別にそれは可奈が悪いというわけじゃなくて、普通はそんなものだと思うんですよ。
春香ちゃんに憧れてアイドルの世界に飛び込んでみたけど、
そこは自分の想像してたよりずっと厳しい世界で、
自分の能力不足が日に日に浮かび上がってきて、
憧れの春香ちゃんは自分なんかとは全然違ってキラキラしてて、
所詮私じゃ通用しない世界、私には無理な世界だったんだ……まだ駆け出しの子ならそんなもんでしょ。
それはきっと、アイドルそのものが目的だったがためにふと夢を見失って沈んでた24話の春香さんと似たようなもので、可奈の場合駆け出しからいきなりゴシップとか憧れの春香を含む周りの足を引っ張ったりとか、自分の力で道を見つけ直すための基盤を形成する前から試練が多すぎたんだと思う。
あと、終盤の「太っちゃいました」展開は感想をいろいろめぐってたところ、理解を示す人と「なんじゃこりゃ」ってなってる人とでバッサリ別れてるように感じました。
僕は初見時後者側だったんだけど、今振り返るってみるとそんなに酷い展開とも思えなくて。
憧れの春香ちゃんと自分との差異、
その春香を含めた皆の足を引っ張っている辛さ、
さらに練習から逃げ出してた負い目、
ゴシップ記事による世間からの悪意の目、
そんなこんなが重なって沈んでたところで、お菓子ヤケ食いして激太りという自分の愚かさを曝すような状態になってしまって。
ますます自己嫌悪と負のスパイラルが加速して、それであそこまで堕ちていった。
こうして考えていくと、自分にとっては十分納得できるレベルの筋は通っていると思う。
じゃあなんで最初はそういかなかったのかというと、あそこに至るまでの展開の問題ではないかと。
シリアスパート全体に漂っていた、雨の中の陰鬱とした雰囲気。
ずっと練習を休み続け、メールへの返答もよこさない可奈。
今後の方針をめぐる議論と、時間が無いと焦り出す志保。
春香の意を決した電話と、可奈のあの言葉、あの態度。
ついに走り出す春香たち、河川敷での追いかけっこ。
……ここまで溜めて溜めて、その末に「実は太っちゃって……」って情報が提示された瞬間に、
前述の可奈のいろんな心の動きと、彼女が太ったという新事実がパッと上手く結びついて一つのロジックを形成すること出来なかった。
少なくとも僕はそうだったからこそ、その場ですぐに納得できなかったんじゃないかと考えてます。
後、もう2つほど付け足して述べるなら。
まず、あのシーンの前後の作中の時間の長さが分かりづらかったように思える。
可奈がレッスンに来なくなってから、春香との電話までどのくらいの作中時間が経ってるかイマイチ掴めなくて、
かつ長々と陰鬱とした演出が続くから、あの間の時間が凄く長く感じた。
加えて志保の「時間がないんです」発言もあって、あのときは一刻を争う緊迫した状況に見えた。
けど実際はあの後サボり続けてた可奈も含めた全員が元のレベルで間に合わせて、
可奈の体系も衣装が着られるレベルまで戻るくらいの時間があったわけで、でもそうとは感じられなかった。
だから、太るという個人的に即座に深刻な問題とは判断できなかった事実がその状況で突きつけれたことで、なんだか肩の力が抜けちゃったのかなと。
もう一つは、ろくに連絡をよこさない可奈に僕がちょっぴりフラストレーションを覚えていたこと。
逃げ出すことはともかく、他の仲間や春香からのメールに反応くらいは示そうよと思ってて、
その末で太って顔を出せなかったって言う個人的な事情っぽいものをもってこられたのが納得できなかったんだろうなと。
でも実際、等身大の14歳の女の子ならああいう逃げ方をするのも十分自然なのかもしれませんね。
おそらく、僕が彼女たちに年齢以上の精神性を求めすぎなのでしょう。
でも、同じ土俵に立ってる765の子たちがそういう感じだから、どうしても彼女の事も同じ視点で見ちゃって。
振り返ってみると、少なくとも映画で描かれた範囲では可奈ちゃんは物凄く普通の女の子で。ヒロイックな765の子達なら立ち向かえそうな問題も、彼女にとっては重すぎたということなのかもなー。

あと、可奈ちゃんに限らず、
アニマスの世界は「出来ない子」に対して厳しくなるよね。
ゲームとPとアイドル一人or1ユニットの対話だからあまり描かれないけど、
アニマスは大人数の中で一緒にステージに立つから、技量の無い者には「皆の足を引っ張ってしまう」という負い目がのしかかってくる
今回の可奈やダンスできない組を見ていて、その重みを今までよりも実感しました。
その点でいうと、始めから支えてくれるプロデューサーや仲間がいた765の子達は恵まれてたんだろうね。
11話の雪歩は根気強く付き合ってくれる真や厳しく優しく導いてくれる貴音がいたから進むことが出来たけど、もし雪歩が今回のミリマス組の立ち位置だったら相当危うかったのかもしれません。
そうそう真と貴音といえば、今回は雪歩の成長を満足げに感慨深げに見守る保護者みたいな感じでしたが、
あれを見ていて、僕がアニマスのゆきまこやたかゆきをあまり好きになれないのは、この2人が雪歩の保護者みたくなってるからなんだなと再確認しました。
僕はたぶん、お互いが相手を支え相手のためになる、そういう双方向性の関係が好きなんですよね。
だけどアニマスだと、「強い」真や貴音が一方的に「弱い」雪歩を支えるばかり。
その関係を見ているのは、やっぱり雪歩の活躍が見たい身としては辛いものがあって。
おまけに雪歩が「真ちゃんカッコいー!」とか「四条さんすてきー!」*1とか、そんな2人にベッタリ甘えているようにも見えるからこれまたさらに気持ちが萎えるのでしょう。
結局この関係自体は今回も変わることは無かったけれど、
ただ、そういう真や貴音からもらったものを、今度は自分がミリマスの子たちに還元しようっていう雪歩の姿勢が見られたのはとてもよかったです。これは今回の大きな収穫ですね。
あと、この論点で言えばはるちははホントよくなったなーと。
「太陽の子春香さんがガラスのハートな千早を救いますよ」みたいなのばっかりじゃやっぱり千早が不憫なので、今回のはるちは描写全般は千早にとってはるちはにとって非常に価値のあるものだったと思います。

あとはえーっと、「M@STER PIECE」について。

映画内ではライブシーンの映像の微妙さに気をとられて味わい尽くせなかったんですが、今日CDを買って聴いてみたところ、これがもうトンデモない名曲で。あのときもったいないことしちゃったなと後悔しちゃってますw
READYやCHANGE、でしょうは今この時の楽しさや未来の希望を歌う曲だったけれど、
マスピはそこに、彼女たちの歩んできた過去も乗っかっていて。
締めくくりのオールスターソングというでしょうと同じような立ち位置ではあるんだけど、こっちの方がよりエンディング感があるというか。
過去を想い返し、現在の輝きを祝し、その向こう側の未来へ進む意志を歌い上げる。
この映画作品のED曲自体は虹色ミラクルだけど、マスピがアニマスの物語全体のエンディングに聴こえてきちゃう。
実際もうこれ以上アニマスでやれることは残ってないというか、下手に付け足しても蛇足になっちゃいそうよね。
今回の成熟したアイドルたちの姿があって、
春香さんの「私は天海春香だから」とそれに続く仲間たちの言葉があって、
このマスターピース、そしてそのラストの「NEVER END IDOL M@STER PEACE!!で、とうとうアニマスの物語はこれでお終いなんだなという実感が完全に湧き上がってきました。「NEVER END」で逆に終わりを実感するという……w
ミリマスやモバマスその他の新アイドルや、もしくは3rdvisionで再リセットされた765の物語がまたアニメになることはあるかもしれないけど、流石に今の世界線上の続きでは、せいぜい26話やSFみたいな小話をちょっと出すかどうかってとこでしょう、うん。
ゲーム新作のOFAでゲームの765プロの方にもこういうのが待ってるのかもな、と想像して今からしんみりしたり……。

それにしてもマスピはホントいい曲で、
アニマスのラストをこの曲が飾ってくれたというのが凄く幸せです。
「夢を初めて願って 今日までどの位経っただろう」
その詩と歌声にアニメの彼女たちが歩んできた26話+αの道のりを重ねてみても、
もしくは自分がアイマスと出会ってから、アイマスが始まってからの彼女たちの軌跡を重ねてみても、感慨深いことこのうえ無いというものです。
ちなみにCDには律子含めた13人のCDバージョンと映画内で流れたバージョンとが併録されてましたが、
CDバージョンの方は2番Aメロ部分を伊織ソロ→あずさソロ→亜美ソロの竜宮メドレーで歌うのがたまんないです。
あと大サビ前のとこを律子が担うことや、初期のCDマスターピースシリーズ+フェアリーでユニット分けしてる説も素敵。

んー、ここ数日特に考えてたことはだいたい書き切れた感があるからこんなとこかな。
後半のシリアスパートはじめ賛否両論別れてますが、
鑑賞後もこんだけ夢中になってあれこれ考えてる時点で、僕にとっては間違いなくいい映画だったんだと改めて思います。

*1:これはアニメ内ではたぶん言ってないけど