映画「リズと青い鳥」、および鎧塚みぞれと傘木希美の物語への感想

アニメ「響け! ユーフォニアム」の新章・久美子2年生編の第一弾こと、
リズと青い鳥」がついに公開されました。
(久美子2年生編、といっても今回の映画で久美子のセリフは片手で数えるくらいしかないのですが…)

アニメから入り、基本アニメの世界観を中心としつつ、合わせて原作小説も読みすすめてきたユーフォ。
これまではずっとアニメ→原作の順番で楽しんできたのですが、
今回の久美子二年生編(原作副題「北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章」)については、
①原作前編読了(去年の8月頃)
②映画「リズと青い鳥」鑑賞(今年の4/22)
③原作後編読了(4/27)
という、ちょっと変わった順番で堪能してみました。
結果、メインであるアニメ「リズ青」を見る際に、
さりげなく仕込まれた原作前編ネタを拾ってニヤニヤしつつ、
主に原作後編に描かれているみぞれ&希美のエピソードは割と新鮮な気持ちで見ることができたので、
これはこれで、なかなかアリな楽しみ方だったのかなと。

結論から言うと、映画の「リズ青」も、
原作で先に読み通した久美子2年生編の物語全体も、
いずれも期待に十分応えてくれるだけの素晴らしい作品でした。
2年生編全体へのアレコレは、今度もう一つの映画が公開された際にでもまた合わせて書くとして、
今回は「リズ青」の感想を、
それに対応する原作部分(みぞれと希美の物語部分)についても抽出しながら書いてみようかなと。

※というわけで以下、映画「リズと青い鳥」のネタバレ全開。
および原作小説のネタバレも軽く含みますのでご注意を。

「のぞみぞれ」にフォーカスした映画


映画「リズと青い鳥」は、発表段階から割と衝撃の連続だった気がします。
まず、「みぞれと希美メインで一本映画作ります」という時点で挑戦的だなと思ったし。
TVアニメ2期の総集編があすかパートメインの作りでみぞれパートを省略する分、
別にみぞれメインの総集編+αを作るのかな…と思いきや完全新作だと言うし。
後に公開される「久美子二年生編」の映画の時系列を飛び越えて、先に原作後編部分を映像化しちゃいそうだし。
そして極めつけには、
タイトルから「響けユーフォ」の文字が消え、ビジュアルが一新され、
完全にこれまでのシリーズとは一線を介した別物
みたいな感じで出てきちゃったものだからもう驚きですよ。
「あの『聲の形』のスタッフの新作!」って宣伝文句がデカデカとアピールされたり、
話題性のある本田望結さんの起用だったり、
従来のユーフォの枠を超えて売り出そうとしている感じだけれど、
「いやでもこれ、内実はユーフォのスピンオフで、
しかも扱うのは『のぞみぞれ』というシリーズでも随一のキワモノ的なエピソードなのよ!?
こんな大きな舞台まで引っ張り上げてきて大丈夫なの…?」
と、シリーズファンとしての親心的な(?)ソワソワ、ハラハラした思いも抱えながら公開までの日々を過ごしていました。

蓋を開けてみると、「リズ青」は、
これ商業的に受けるんだろうか…みたいな不安もやっぱり湧いてきちゃう一方で、
大衆受けとか気にしてマイルドな方向に舵切った感じとかは一切なく、
「ユーフォシリーズの、みぞれと希美の物語を妥協なく全力で表現しました」というのが伝わってきて。
ファンとしては素直に嬉しく、ありがたく、納得できた出来栄えでした。

私は基本TVアニメシリーズの信者だし、アニメ版のユーフォが至高だと思っているのだけれど、
唯一、原作2巻・アニメ2期1〜5話みぞれと希美のエピソードについては、原作の方が出来が良いと思っていまして。
アニメ2期は尺の問題で2巻の描写をある程度削っちゃってるのが大きいんだけど、
わりと異質なノリののぞみぞれエピソードが、アニメのスポ根エンタメ群像劇的な空気と微妙に合わなかったというのもあるんじゃないかなーと。
だから今回、TVアニメから独立させてキャラデザも変えてしまって、
「のぞみぞれの物語用」に世界を構築しなおしたのは、凄く理解できる判断だったと思うんですよね。

この映画の作画が、音響が、演出がどうこう…みたいなことを語る知識も言葉も無いんだけど、
「リズ青」で描かれる、繊細で、触れたら壊れそうな、儚げで美しい一瞬一瞬は、
まさに鎧塚みぞれの心模様を映しているかのようで。
作中のみぞれと希美の会話は全然噛み合わないのに、
それを描き出す目の前の光景は、驚く程見事に脚本とバッチリはまっていて。なんだけ不思議な感じでした。
そんな世界の中で描かれる2人のやり取りは、
TVアニメシリーズよりも、原作小説よりも、個人的にはより強く心に響いてグッとくるものがあったように思います。
"のぞみぞれのため"だけに一本こさえただけのことはあったなあと。

"久美子フィルター"から逃れた意義

それから、もう一つこの映画を本編から独立させた故の収穫として、
黄前久美子の眼から逃れられた」というの大きいよなあと。


原作小説の本編は主人公・久美子の視点で常に進行するようになっているため、
基本的に久美子の目の前で起こった出来事しか描かれず、あらゆる大事な場面には必ず久美子が居合わせている
アニメでは補完的に、久美子がいない場面でのキャラクターのやり取りも描かれているけれど、
やはりメインストーリーの流れの中では、原作通り常に久美子が見聞きしているという形をとっています。
それこそ、久美子が直接事件の解決には貢献せずとも、
皆の事情を聞き取って、和解の場にも同席していた希美部活復帰エピソードなんかはまさに象徴的でした。
「リズ青」のエピソードについても、原作小説ではやはりそこは変わらなくて。
希美とみぞれ、それぞれの進路に対する真意を引き出しているのは久美子で、
みぞれへの嫉妬心をぶちまけるのも久美子相手にだし、
新山先生のアドバイスを聞いてみぞれが目醒める瞬間にも久美子が同席していて、
そして、みぞれ一世一代の「大好きのハグ」の場面も、久美子・夏紀・優子の3人が見守っている。

ところが、アニメ本編から独立し、黄前久美子をモブ的な脇役に徹させることで、
"久美子視点"の制約から逃れられた「リズ青」では、
他者が介在しないみぞれと希美だけの空間を作り上げることができたし、
三者の友人に思いを吐露する場面でも、相手として選ばれるのは人間関係的に必然性のある夏紀や優子になった。
この変化が、みぞれと希美のエピソードの完成度を凄く高めてくれたように思います。

念のため言っておくと、自分は久美子のキャラクターそのものも、
そして語り手としての彼女も大好きだし、絶対の信頼を置いている。
久美子フィルターを通してこそのユーフォの面白さだし、それなくしてユーフォの魅力は成立し得ないと確信している。
ただ、あらゆる場面に久美子が居合わせるという展開には、やはり不自然なご都合主義的なものを感じることもあるし、
何より、久美子という語り手には、そこに居合わせるだけである種安心感を与えてくれるような面もあると思っていて。
「人生決定の全てを友達に委ねるほど、異様な傾倒ぶりをみせる鎧塚みぞれ」のような異物に対しても、
一般人代表ですよみたいな立場で冷静に客観視しつつ、
それを受け入れる度量もある久美子の目を通すことで、こちらも警戒心を解きながら受け入れやすくなっていたし、
更にvs田中あすかを経た2年生久美子は爆弾処理班・カウンセラーとして非常に優秀なので、
厄介な人間関係の軋轢も、なんだかんだ久美子が上手く乗り切ってくれるだろうみたいな余裕を持って見ていられるんですよね。
それはもちろんプラスに働く面もあるのだけれど、
でも、のぞみぞれの関係の危うさを見せるうえでは、ある種久美子の存在が障害になっていたのかもなー、とも。


見るからに噛み合わない、違和感だらけの2人の会話を、
冷静に突っ込んでくれる・案じてくれる久美子がそこにいないからこそ、
2人の関係へのモヤモヤ感や、危うさに対するゾクゾク感が少しも和らいでくれることなく募っていって。
何よりクライマックスの、2人っきりの理科室での「大好きのハグ」シーン。
あそこを他に邪魔する者のいない、2人っきりの空間に出来たからこそより味わい深く出来たと思うし、
それに、"他に誰もいてくれない"からこそ、緊張の糸が張り詰めたままでいられたんじゃないかなと。
仮に希美の無神経な言葉が、みぞれの無自覚な残酷さが、お互いを修復不可能なほど壊しそうになったとしても、
あの場に久美子や、あるいは優子・夏紀のようなよく出来たフォロー役がいたら、
きっと何とかなるだろうと、良くも悪くも多少安心して見られた気がするんですよね。
けれど、映画ではあのひたすらに危うい2人しかいない空間だったから、
最後まで破綻の可能性にハラハラしながら、緊張感を持ち続けて見守っていられたわけです。
「リズ青」が原作やTVアニメ本編とは違ったアプローチを仕掛けてくれたからこそ、
こういう新しい体験、新たな発見があったわけで。
そういう面も、シリーズファンとして非常に意義深い作品だったなあと。

静寂に満ちた90分

映画作品としての「リズと青い鳥」は、なんというか物凄く静かな映画だったなと。
元々そんなに映画を見る方ではないとは言え、
飲み物を飲んだりポップコーンを摘んだりみたいな細かな物音が、ここまで存在感を示す映画は初めてで驚きでした。
その点、劇場に居合わせたお客さんの中に大きな騒音を立てるような厄介者がおらず、
静かな空間の中で映画に集中できたのはとても幸運だったなあ。

映像だけでなく、シナリオの流れもちょっと異質というか。
出会いや卒業(別れ)といった分かりやすい区切りをつけるでもなく、
2人の少女の日常の一部分だけを切り取って、淡々と流れていく。
リズと青い鳥の配置が逆」という大仕掛けも予想がつきやすくて、
特に大きく予想を裏切られたりすることもなく、
本編でいうコンクールみたいな一大イベントがあるわけでもなく、静かに終わりに向かっていく。
こういうタイプの映画をなかなか見た記憶がなかったし、
しかもユーフォ本編がわりと賑やかにエンタメしている作品だっただけに、何とも不思議な感覚を持ったまま90分を過ごしていました。

かといって別に退屈だったというわけではなく、
2人のぎこちない会話、噛み合わない歯車を見てソワソワハラハラしたり、
周りのお馴染みの部員達や、新キャラ梨々花ちゃんに癒されたりしてたし、
「青い鳥」の意味が逆転するシーンは、分かっててもゾクッとくるものがありました。
超一流の演奏技術がありながら、"リズの気持ち"が表現できない故に力を発揮できないみぞれが、
表現力そのものを育てるとかじゃなく、
"青い鳥の気持ち"に視点を置き換えることで覚醒する
…っていうプロセスが凄く説得力あって好きです。
そういう過程を経ての、みぞれの覚醒オーボエ演奏シーンはやっぱり震えるものがあったし、

それ以上に、その演奏を受けて泣き崩れる希美の姿が、今作中でも一番というくらいに突き刺さりました。
そして、"大好きのハグ"を経て、お互いが別々の進路に向けて歩き始めながら、
けれど一緒に下校して、ようやく一瞬だけ歯車が噛み合って、そして素敵な余韻の残るエンディングへ…。
こうして振り返ると、終始十分すぎるくらいスクリーンに惹きつけられていたし、
きちんと感情の盛り上がりどころになるような瞬間もあったよなあと。

一方で、思いっきり少年漫画的な感性に振り切れてて、
どうしても分かりやすいエンタメ的盛り上がりを求めてしまう自分としては、
ちょっとだけ拍子抜けな印象を持ってしまったことも否定できなかったり。
それこそやっぱり本編のように、
希美とみぞれが行き着き、コンクール本番で演奏する「リズと青い鳥」をクライマックスで見たかったなとか。
それはもう一つの映画の方で…って流れなのかもしれないけど、
「リズ青」の流れで見てこそ、という感動もあっただろうし。

でも、コンクールでの勝ち負けどうこうとかの話を一切切り離して、
ひたすら学校の中だけで、鳥籠に囚われた青い鳥のような閉塞感を覚える日常を描き、
最後にそこから出て下校シーンで締める…という本作の構成には凄く納得しているし気に入ってもいるので、
「響けユーフォ」ではなく「リズ青」という単体の作品としては、やっぱりこういう作りで正解だったんだろうなとは思いますね。

みぞれを囲む人々

リズ青の物語における大きなトピックの一つに、
これまで希美しか視界に入っていないような勢いだったみぞれが、
彼女に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる、周りの人物たちに関心を寄せ始めたことがあるでしょう。
元々みぞれ周りの人間関係描写については、
重すぎる希美との関係よりも、久美子や優子との絡みが気に入っていたりしたので、
みぞれが久美子、優子、新山先生といった人達に反応し始め、期待に応えたいと思い始める原作の描写はとても嬉しいものがありました。
映画だと描写がみぞれ-希美関係に絞り込まれ、
特に久美子なんかはモブ化しちゃったせいで、そういう面が若干薄れちゃったのは少し残念だったかな。
一方で、夏紀は久美子の見ていないクラス内での描写がアニオリで増えたおかげで、
原作よりもみぞれとの絡みが強化されていましたね。
南中カルテットの中で一番薄かった夏紀-みぞれラインが補強されたのが単純に嬉しかったし、
希美も優子もいないクラスの中では、夏紀がこんな風にみぞれをフォローしてるのかーとか知れて良かったです。


そして何より、映画で大躍進を遂げたのが新キャラ・剣崎梨々花ちゃん
原作でも、馴れ馴れしい後輩の梨々花がみぞれと距離を縮めていく描写は微笑ましいものがあるのですが、
映画では彼女とみぞれとの描写がめちゃくちゃ増えて、
しかもたった2人のオーボエ奏者として、2人っきりの空間でそうした過程が描かれていくので、
ここの関係は映画で物凄く魅力的なものに化けたんじゃないかと思います。
みぞれに「先輩と一緒にコンクールで吹きたかった」と言ってくれる後輩ができたことが嬉しくて、
夕陽をバックに2人のオーボエがハーモニーを奏でるシーンが美しくて、あそこでちょっと涙ぐんでしまいました。
今後も久美子3年生編まで続いていくであろうシリーズで、
梨々花という次世代キャラのドラマ性を強化出来たのは、今回の映画における凄く大きな収穫じゃないかなと。

梨々花のキャラ自体は、原作前編読んだ段階だと、
原作設定画や、1年生の中の中心人物という設定の影響もあってか、
もっと快活でイケイケギャルみたいな感じを想像してたんですが、
映画だとゆるっとふわっとした癒し系になっててビックリでした。まあでもこれはこれで良いなと。
あと、久美子の視点で見る原作の梨々花は、
明るく社交的な1年の中心人物でありながら、どこか底が見えない食えない奴という印象で、
ある種田中あすか的な側面も感じさせるキャラだったのですが、
映画の梨々花は素直に可愛く心を許せる後輩という感じでしたね。
この辺は、みぞれ視点と久美子視点の違いとかもあったりするのかな。

フルートパート・モブ描写


みぞれ-梨々花の2人っきりの穏やかな空間と対照的に、
希美を囲む賑やかなフルートパートの様子が見られたのも嬉しかったですね。
2、3年はちゃんとアニメシリーズの設定が引き継がれてるのに安心して、
もなかメンバーの中野蕾実ちゃんが先輩呼ばわりされてるのとか、時の経過を感じられて良かったです。

フルートパートと言えば、
"かつて揉め事を起こした出戻り部員"でありながら、
元南中部長のカリスマ性やエース張れる演奏力を持った希美の存在が、不協和音になったりしないのだろうかとか密かに思っていたのですが、
映画での様子を見る限りだと普通にワイワイ仲良くやってるみたいですね。
まあリズ青の段階だと揉める対象になりそうなあすか世代は既に抜けてるから、そんなもんだろうけど。
唯一同じ学年で、胸中複雑かもしれない井上調さんとも取り敢えず表面上上手くやっていけてるみたいなのは何より。
むしろ揉めた方がドラマ的には面白そうだったりするんだけど。

ほかの部員たちもちゃんとTVアニメの設定が引き継がれているようで、
本編デザインとリズ青デザインとの違いとかを楽しむのも面白かったですね。
あと、映画の中では影も形も見当たらなかったのに、
部費滞納3バカトリオみたいな感じで名前だけ出された秀一の扱いが…w

というか、3年の会計担当が希美なのがサラッと明かされて驚き。
あすか世代の会計が香織先輩だっただけに、なんか部長副部長に次ぐポジションみたいなイメージが勝手についてたから
出戻りの希美がその役に付いてるとは思いませんでした。
なんとなく梨子先輩とか辺りがやってそうなもんだと。

無自覚な天才と嫉妬する凡才

これまで提示されてきたみぞれと希美の関係は、
「唯一無二の相手として重すぎる愛を希美に向けるみぞれと、ただの友達の一人くらいにしか思っていない希美」という図式で。
表面上友達でありながら、お互いへの思いの強さが全然釣り合わない…というテーマに興味深さを覚えてはいたものの、
それ以上に熱く入れ込むほどのものもなく、
自分にとっては、のぞみぞれペアの関係性というのはユーフォの中で比較的優先度の低い箇所でした。

それが、今回の「リズ青」の物語では、
ユーフォ本編で度々扱われ、個人的にも好みなテーマである「才能の格差」という要素が加わることによって、
以前よりもずっとみぞれと希美の関係性に魅力を感じるようになったなと。

田中あすかとか、高坂麗奈とか、
ユーフォシリーズにおける、才能のある"特別"な人間的なポジションのキャラは、
楽器の演奏技術だけに留まらず、容姿とか知力とか様々な能力を持ち合わせたカリスマ的な描かれ方をされがちである。
その点、今回同じように学年内のカリスマ的な地位に躍り出たみぞれは、
どっちかというと、いろんなものをかなぐり捨てて音楽の才能のみに特化したキャラのように思っていました。
一心不乱にオーボエの練習だけに取り組んでいる日常描写とか、
コミュニケーション能力のマズさ、なんとなく鈍臭そうとか見てるとね…。
でも改めて考えてみると、進学クラスに入れて、音大の筆記試験も苦にしなさそうな程度の知力があったり、
麗奈あすかでは無いにせよ、久美子から容姿が整っていると評価されるような描写があったり、
原作限定の定期演奏会のエピソードでは事務処理能力の才能を発揮していたり。
加えて、原作の「リズ青」エピソードで新たに明かされる事実として、
みぞれのお家はなかなかのお金持ちで、音楽の道へ進む上での負担も全く問題なさそうだというのが大きい。

何より、みぞれの音楽以外での最大の凄さとして、他人に愛される能力というのがあるように思います。
優子、夏紀、久美子、梨々花、新山先生…。
みぞれ本人は希美に夢中であまり周りを見ていないのに、
みぞれの周りには自然と、彼女に世話を焼いてくれる心優しい素敵な人物たちが集まってくる。
この点はホント、みぞれは恵まれてるよなあと。
一心不乱に希美の背中だけを追いかけていたら、
いつのまにか音大進学という進路が目の前に用意されていて、
それを実現するだけの才能も、支えてくれる環境も十二分に揃っていた。
こうして見ると、みぞれは非常に天運に恵まれた、"持っている子"ではないでしょうか。
そこに本人が全然無自覚なのだから、
「みぞれはズルい」と言いたくなる希美の気持ちも分かるなーと。


一方、そんなみぞれと対比して"持っていない"凡人として描かれるのが希美。
「リズ青」までは、希美がこういうポジションとして描かれるとは思っていなかったですね。
みぞれとの奏者としての格差がまだ分からず、2人並べて"上手い側"として捉えていたとのもあるし、
どっちかというとそういう役目は夏紀や優子辺りが似合いそうだったのもあるし、
何より、希美は中学で部長を任され、
高校でも集団退部の先頭に立ってたっぽかったり、復帰後も後輩から慕われたりと、
スクールカーストの上位に立てるような社交力・人望があるわけで。
イチ高校生としては、希美の方こそ"持っている"人間に見えるよなあと。
実際、そういう観点でいえば希美も十分恵まれている側ではあるのだろうけれど、
でも、一般的な価値観がどうとかではなく、結局は本人自身がどう捉えるかの問題であって。
音楽に情熱を注ぎ、あすかのようなカリスマに憧れる希美にとっては、
自分に配られたカードが、自分の求める水準を満たすほどではなかった。
そして希美にとっての悲劇は、それを思い知らされるみぞれの存在がすぐ傍にあったことでしょう。

推測も混じりますけど、元々希美にとって音大・プロへの道って淡い憧れ程度で、
自分の実力的にも家庭の経済事情的にも、真剣に選択枝にあがってくるほどじゃなかったと思うんですよね。
みぞれの存在が無ければ、てらいもなく普通大学に進んで、就職しながら音楽は趣味程度に続けて、
例えば後輩の麗奈とかがプロで活躍している姿を見ても、「凄いなーあの子は」とあっさり賞賛してたんじゃないかなと。
しかし、自分と同じように、自分の傍で中学→高校と吹奏楽をやってきたみぞれが、
才能を開花させて、そうした輝かしい道へ歩まんとする姿を見ることで、コンプレックスが呼び起こされてしまったと。
皮肉なのは、みぞれ自身はそうした未来を積極的に望んで得たわけではないことと、
何より、みぞれを音楽の道へ導いたのが希美自身だったことですよね。

新山の誘いを受けるみぞれに対抗しようと、つい自分も音大に行くなどと口走ってしまって、
しかし、みぞれとの間にある確固たる才能格差は確かに存在していて、
覚醒したみぞれの演奏で、ついに決定的な敗北を突きつけられる。

あそこの希美が崩れ落ちる様は、ホントにもう胸が締め付けられるようでした…。
そして、「リズ青」の物語が素晴らしいのは、
こうした才能格差と希美の敗北の道筋を、吹奏楽の演奏と見事にリンクさせている事なんですよね。
当初、希美はフルートのソロを活き活き堂々と、主役のオーボエを食いかねない勢いで演奏する。
それはきっと、「自分はみぞれに負けてない」という対抗心の現れだったのでしょう。
しかし、覚醒みぞれの演奏を受けて、敗北を受け入れたあと、
「みぞれのオーボエを支える側に回る」と決意する。この過程がすごく美しいなあと。
敗北して、崩れ落ちてフルートを吹けなくなった後、希美がその決意を久美子に明かす原作のセリフがまた良いんですよねこれが。

「でも、違った。青い鳥はみぞれのほうやった」
「じゃあさあ、もう足を引っ張るわけにはいかんやん。
みぞれのソロを完璧に支える。
それだけが、うちができるあの子への唯一の抵抗やねん。
好きとか嫌いとか、そんなんは関係ない。
ソロだけが、うちがあの子と対等でいられるたったひとつの方法やねん。
もう、あんな醜態はさらさへん。うちは自分の与えられた役割を完璧にやり切る」

敗北を受け入れて、"支え役"に徹するという葛藤と覚悟。
そして、みぞれに対抗するため、自分のプライドを守るためにその役割を全うするという姿勢。
いやもうホント、こういうの大好きすぎるので震えました。
ユーフォにおける現時点での傘木希美一番の名シーンはここじゃないかとすら。

天才と凡人の物語を盛り上げるのは、得てして凡人側からの嫉妬・羨望・そして足掻きという感情のドラマ性だと思っています。
リズ青の物語では、
それなりに優秀な奏者としてやってきた凡人の傘木希美が、
鎧塚みぞれという本物の天才に恐れ、嫉妬し、そして対抗しようと足掻くからこそ、
そして、その交わりが「リズと青い鳥」という楽曲の演奏の中で繰り広げられるからこそ、面白い。
今回のコンクールの中心が「オーボエとフルートの掛け合い」と聞いたとき、
私は「あー、これはなんだかんだでみぞれと希美の関係がいい方向に発展して、
通じ合った2人の絆が、美しいハーモニーを奏でる…みたいな筋書きなんだろうなあ」とか、浅はかに予想してました。
しかし、実際にそこで繰り広げられるのは、
他を圧倒する覚醒みぞれと、それに必死で食らいつこうとする敗北者希美の掛け合いであり、
無垢な天才の自由な羽ばたきと、凡人の抵抗とのせめぎ合いの物語だった。
…やー、もうホント熱い! たまんないっす!
ユーフォを競技物、スポ根ものとして楽しんでいる自分にはホント滾る展開だったし、
スポ根とは離れたところにあると思っていたのぞみぞれ物語に、こういう要素が投入されたのがホント嬉しくてたまらなかった。

だから、原作を読んでしまった後に、
「やっぱり映画の方のクライマックスにも、本番の演奏シーンが欲しかったな」と。
映画作品としてのリズ青はそういうのを求めるものではないし、
あのまとめ方がベターだと分かっていても、やっぱりそう思わずにはいられなかったのです。
希美の出した答えを、オーボエを支えるフルートソロという形で見聴きしてこそ
自分の中でのリズ青の、傘木希美のドラマが完全に昇華されるんじゃないかなという気がするので。

鎧塚みぞれと傘木希美の救済

リズと青い鳥」の物語は、基本的に鎧塚みぞれを救済するためのものだと思っています。
久美子2年生編、つまり夏紀優子世代の3年生編を制作するとなったとき、
読者も、作者自身も思ったことでしょう「鎧塚みぞれって、卒業後どうすんの?」と。
だから、みぞれの卒業後の進路を定め、最大の課題"希美離れ"を促す物語を作らないといけなかった。
そうして、改めてのぞみぞれをメインに据えた「リズ青」の物語が生まれたんだろうなと。

結果、この物語を通してみぞれは多くのものを得ました。
目覚めたオーボエの演奏技術。
可愛い後輩梨々花や恩師新山先生。
それに優子夏紀久美子らを含めた、周囲の人たちへの関心。彼女の中での新しい扉が開けた。
奏者としての未来と、傍に希美がいなくともその道に進む決心。
そしてみぞれにとって一番重要な、希美との関係においては、
みぞれの望む答えは得られなかったけれど、これもみぞれにとって良い形にはなったんじゃないかと思ってます。
これまでの、感情の大きさが全然釣り合わない関係から変化して、
例えそれが嫉妬みたいな醜い感情だったとしても、希美の方から大きな矢印を向けてもらうことができたのだから。
…というかこれ、原作で久美子が全く同じようなことを言及してましたね。
こういう感情を共有できる黄前久美子さんはホント素晴らしい語り手である。

一方、みぞれがいろんなものを得て前進したその陰で、辛酸をなめさせられたのが傘木希美さん。
「響けユーフォ」シリーズは何やかんやアニメの力で、素敵な美少女いっぱいのキャラクターコンテンツって感じになってますが、
元々原作小説はそういう志向で出発した作品じゃなかったからか、
わりと好感度・人気とか気にせず、キャラになかなか容赦ない扱いをするなあと感じる瞬間がありまして。
そしてこの傘木希美というキャラクターは、特にそういう傾向を強く感じるなーと。
元々メインとして初登場した原作2巻・希美部活復帰のエピソードも、
焦点となるのはあくまで鎧塚みぞれという特殊な人種の内面的な問題で、希美はそのおまけ、舞台装置みたいな感じで。
その後、みぞれはちょくちょく出番を与えられて活躍するのに対して、
希美はもう役割を終えたと言わんばかりに、めっきり影が薄くなってしまう。
一斉退部事件から復帰した実力者、という三井寿みたいなドラマ性を持つポジションだけに、
こうも持て余しているのは勿体無いなーと前々から感じていました。

そして今回、「リズ青」のエピソードでようやく希美自身の内面にスポットが当たったわけですが、
そこに描かれたのは友達を思う綺麗な感情や華々しい活躍ではなく、
ドロドロの嫉妬心を抱え、虚栄心からの軽率な行動でみぞれの健気な思いを振り回してしまう姿だったわけです。
なんというか、凄く象徴的だなあと思うのが、
希美のそうした行動に対して、原作では久美子の心情描写として"憤り""不快感"などというワードが飛び出して、
さらには、「自分のことを軽蔑するか?」という希美の問いに対して、
久美子が「しますよ、さすがに」という返答まで返してしまったこと。
久美子がけっこうみぞれ贔屓なスタンスというのもあるだろうけど、
それでも絶対的に信頼の置ける語り手・読者の眼である黄前久美子にここまで言わせる*1というのは、
作者自身が希美の行動をそう映るものと捉えて描いていて、
つまるところ、傘木希美というキャラクターは積極的に"好かれよう"と思って描かれているキャラじゃないのでは、と。
みぞれがあれだけ周囲の人物に恵まれて、
読者視聴者からも人気者として持て囃されがち*2なだけに、
こんなところでもその対比が残酷に感じますね。

しかし、そんな不遇な扱いだったからといって、「リズ青」の希美描写がダメだったかというと全然そうではなく。
まず、これまでの「友達への熱量の違い」という"みぞれの物語"に対する付属品的な感じが拭えなかった希美に対して、
「才能の格差の残酷さ」「天才への嫉妬」だとかいった、彼女自身のテーマ性が生まれたことは一つ大きな収穫でしょう。
しかも、その物語自体が前述のように一定の熱量を持ち、共感を呼ぶものがある。
何より、読者の好感度を下げないようにしよう…みたいな中途半端な媚びがないからこそ、
傘木希美というキャラクターは生々しく、そして"刺さる"キャラクターになったなあと

「ほんまは、最初から知っててん。みぞれに才能があるって。
 だってあの子、息するみたいに練習するんやもん」
「心のどこかで、みぞれより自分のほうが上手いって、思ってたかった。
 だって、みぞれよりうちのほうが絶対に音楽好きやんか。
 苦労してる。つらい思いもしてる。それやのに、みぞれのほうが上なんて」

原作で「みじめでみっともない本音」と評される、希美の台詞。
本人も軽蔑されるべきと自覚してるみたいだけど、正直まさにその通りだよなあと。
みぞれがどんな思いで音楽を続けてきたかと、その苦悩を及び知らないのはある程度仕方ない面もあるとしても。
みぞれの圧倒的な練習量、努力の積み重ねは「才能」の一言で切り捨て、
自分の方が苦労してるのに、つらいのに…と被害者ぶる。
吉川優子が聞いたらブチギレて、高坂麗奈が聞いたら冷ややかに蔑みそうな言葉だなあと。
でも、世の中の大抵の人間なんてこんなもんですよね
影の努力や苦悩を直視することなく成功者の才能を妬み、
自分だって頑張ってるのに、苦労してるのに何故報われないのかと悲観する。
私自身、そういう感情を持ったことがないとはとても言えないし、
そういうのはきっと、大多数が当然のように抱いてしまう"普通の"感情ではないでしょうか。
ただ、「響けユーフォ」という創作の世界の中に放り込み、
優子や夏紀みたいな思いやりに溢れた人達と身近で共存してしまうと、
希美のそのみっともなさ・普通さが悪目立ちしてしまうのが辛いところですね。
あすかや麗奈のような"特別"を受け止め、
理想的な関係を築いていけるだけの度量があった久美子と違って、
みぞれの"特別"を間近で受け止めるには、傘木希美はあまりに"普通"すぎた
それが希美にとってみぞれにとっても悲劇であり、故にこういう結末になったんだなあとか思うと、何とも切ない気持ちでいっぱいになりますね。

南中時代の屈辱の銀賞、
高校1年時代の上級生との衝突→退部、
そして今回の「リズ青」と、思えば希美の物語はわりと敗北続きです。
しかも、そこで夏紀や優子のように気高い振る舞いが出来るわけでもなく、
後暗い感情を爆発させてしまい、読者視聴者からの好感を沢山得られるとも思い難い。
こうして見ると、「リズ青」の物語は希美にとって、なかなか残酷な仕打ちだったよなあと。
おかげで自分にとって、傘木希美というキャラクターはシリーズでも1,2を争うほど重たい存在となってしまいました。
けれど。
これまで持て余している・真価を発揮できてないと感じていた希美に対して、
こうしてダラダラと書きつらねても、まだまだ書き足りないと思うくらい心を掻き乱されて、
いまやすっかり、彼女に足してある種の愛着を持ってしまっている。
だから自分にとって、この残酷な物語は、
きっと傘木希美にとっての救済でもあったのだと、そう信じたいところです。

噛み合わない2人の関係

繰り返すようだけれど、
「リズ青」の映画で描かれる、久美子の視点から離れた希美とみぞれ2人っきりのやり取りは、
ほんっっとうに全然噛み合ってなくて、終始モヤモヤっしちゃいました。
しどろもどろ上手く自己表現が出来ないみぞれと、
相手の話を聞いてるんだか聞いてないんだか、サラッと受け流してしまう希美。
夏紀や優子や久美子が相手ならこんな風にはならないだろうに、この2人だとあまりにも噛み合わせが悪すぎる。
実にこの2人らしいと思ったのが、ラストの「ハッピーアイスクリーム!」のやり取り。
唐突に不可思議な言葉を、彼女にしてはかなり強い勢いで言い放ったみぞれに対して、
希美は「何? アイス食べたいの?」などとズレた返答をよこし、みぞれもそれ以上説明はしない。
いや、葉月と緑輝がそうだったように、普通なら意図を尋ねる・説明する流れになるでしょう! と。
エンディングまでこんな調子だから、ホントもうこの2人は…って感じですねw
隣に息ピッタリな中吉川コンビがいるから余計に。

でも、そんなぎこちなさを終始徹底したからこそ、これが一つの持ち味になってくるというか。
映画一本90分通して、こういう2人の関係が気持ちよく結ばれるでも、はたまた破綻を迎えるでもなく、
相変わらずのまま続いていくというのが、
リズ青がエンタメ作品として見るにはスカッとしない、けれど魅力的でもある部分ですよね。

クライマックスの「大好きのハグ」シーンで、
「希美のフルートが好き」「みぞれ自身のことが好き」といった、
お互いに一番欲しかったであろう言葉をかけてもらえず、*3
決定的な場面でもついにすれ違ってしまう2人。
その切なさに身悶えし、別々の進路を歩み始めた2人を感慨深く見守っていたところに、
その後2人仲良く下校するシーンがあって、でもやっぱり会話のピントはどこかズレたまま、幕を閉じる。
ちょっぴり肩透かしみたいな思いも無くはなかったけど、
けれどこれがこの映画らしい、そしてユーフォシリーズらしい結末だなと感じます。
これまでのシリーズでもずっと、いろんな問題が起きるたびに、
人の感情の根っこの部分はそう簡単に変わらない、
人と人との関係はそうすぐに劇的に変化しない、というバランス感覚を保ったまま解決させるところが気に入ってましたからね。

みぞれは今回、希美と離れて音楽の道へ進む決意を手に入れたけれど、
それは音楽への心からの愛に目覚めたからでも、希美から完全に自立できたからでもなく、
「希美が背中を押すから」「希美がくれた音楽を続ける」という結論に至る。
希美にしても、今回の一件である程度みぞれへの感情に折り合いはつけられたかもしれないけれど、
わだかまりが消えることはなく、今後も思い悩んだりするでしょう。
そんな2人が完全に相互理解に至るでも、別離するでもなく、今後も関係が続いていく…。
着地点としては凄く納得のいくところに落ち着いたんじゃないかなと。

そして、最後まで簡単には噛み合ってくれない2人だからこそ、
「本番、頑張ろうね!」と声を重ねたあの一瞬の交わりが尊く、美しいものに映るわけです。
だから、やっぱりこの映画はああいう幕切れで正解だったんだろうなと思います。

その他いろいろ


吉川部長の髪が! 髪が! 短くなってる!
ファンシークソデカリボンちゃんを「リズ青」の作風に馴染ませるためみたいな感じなんでしょうけど、
アニメ2期の吉川優子キャラデザが好きすぎる私としてはちょっと複雑なところ。
でも、原作第二楽章編でカリスマリーダーやってる部長優子には、
このくらいの長さの髪型の方がしっくり来るような気もしますね。
次に公開される"本編"の映画、この髪型にチェンジしてかつベストなバランスのデザインに昇華されていたら最高かもしれません。


モブと化した北宇治カルテットの中で、唯一物語に絡むわりと大きな役割を果たした麗奈。
次の映画の時にまた書くかもしれませんが、
2年生編の麗奈は周りが見えるようになって、働きかけるようになった感じが成長見えていいなあと。
久美子とのソロセッションでみぞれを焚きつけようとするシーンも、らしさ全開で好き。麗奈マジ麗奈。


一方、ギラギラ感全開の麗奈と対照的にあんまり存在感のない久美子。
久美子視点から外れたことで、「外から見た久美子」というのを体感出来たのはリズ青の大きな旨みですね。
このふわっとした空気のまま、スッと距離を詰めてきて、ごく自然に傍にいるのが久美子なんだなあと。
特別な麗奈のトランペットソロをサラッと支えてみせたのは本編主人公の面目躍如かな。
天才たちに囲まれると目立ちづらいけど、何気にこの時期の久美子の実力はかなりのものなはずですからね。


フルートパートが和気藹々とお喋りしている描写は、
みぞれと梨々花2人っきりとオーボエとの対比、
あるいはリズが動物の群れと戯れているシーンの再現だと思ってるんですが、
あれが、「希美は喋ってばっかで練習してない」的な感じに見えなくもなさそうのが惜しいなあと。
希美の場合、一度退部した経緯か経緯なだけに、ね。
もちろん、みぞれと比べてしまったら希美の練習量とか質とか言うのは及ばないだろうけれど、
それでも、優子部長中心に目指せ全国でまとまってる部の中でも、比較的モチベ高い方じゃないかなーとは思うので。
みぞれと一緒に早朝から自主練に取り組んでるわけですしね。
まああくまで私の解釈なので、原作者なり映画監督なりの意図とは違うかもしれませんが。


希美が"特別"ではないことを示すものとして、
原作では度々、希美の作り笑いの苦しさについて言及する描写が多いのも印象的。
表情に限らず、映画では手癖足癖とか喋りの調子とかでもそういう面が表現されていたかな。
陽気で負の感情のみえない、憧れられる素敵な自分でいようと平静を装っても、
隙間からつい、隠しきれない本当の気持ちが漏れ出してしまう。
希美が憧れる"特別"な田中あすかと比べると、仮面の被り方がどうにも脆くて、
こういうところでも、希美の等身大の普通さを実感させられるようだなあと。


みぞれのこのヘニャ顔、リズ青のキャラデザならではの味があって好き。
希美を見るみぞれの一喜一憂を観察する映画、としては極上でしたね。


絶妙なアドバイスでみぞれの覚醒を促し、
一方で希美には塩対応で敗北を悟らせた名助演新山女史。
映画の後に原作後編読んだら、麗奈と久美子に対しても割と前のめり気味に音大を進める描写があって、ますます傘木希美さんの立場がないというね。
まあ、久美子に対しては麗奈のついでの社交辞令だったのかもしれないし、
そうでなくても、この時点の久美子はそう言われても不思議じゃないくらいの力をつけてそうだとはいえ……。


さらっと低音パートの新1年組がお披露目されてましたね。
こうして見るとチューバ2人の身長差凄い。
そして久石奏の露骨な隠し方よ…と奏ばかり探していたんですが、
改めて見るとこのシーン求君だけハブられてたんですね。
男子は画面に映さない方針なのか、と思ったけど後藤先輩は映ってるか。
なんにせよ、久石奏は原作の時点で既にめちゃくちゃ気に入ってるキャラだし、
映像映えしそうで次の映画最大の楽しみになっているので、このカット見てるとワクワク感高まってきますね。

前述のように、響けユーフォシリーズに青春スポ根群像劇的な面白さを求めている自分としては、
元々のぞみぞれの関係性というのはメインディッシュからやや遠いところにあって、
そこに照準を絞り込んだ「リズ青」も、正直本編ほどの満足感が得られる作品ではありませんでした。
映画の繊細で少女漫画的な作りも、
少年漫画脳全開な自分とは微妙に噛み合わせが悪くて、たぶんこの感想もだいぶピントがズレたものになってるんじゃないかなと。
とはいっても、本編とは違う空気感のユーフォを見られたというのは凄く良い体験になったし、
何より、TVアニメシリーズ本編で力を発揮しきれていないと感じていたのぞみぞれを、
ここまで専用にチューニングし直した世界の中で見せてもらえたのは、掛け値なしにめちゃくちゃ嬉しかったです。
のぞみぞれをメインに、ここまで大々的な完全新作を作ると聞いたとき、
「そんなディープなところを、大舞台に引っ張り出してきて大丈夫なの?」なんてハラハラしたと書きましたが、
そんな商業的な都合とか置いといて、
単純に、サブキャラメインのスピンオフでここまでのものを作ってもらえたのが、イチシリーズファンとして物凄くありがたいし、幸せすぎることだよなあと。
映画を見終わった後になって、ようやくその恵まれすぎている実感が湧いてきたのでした。

にしてもこの映画、細かい仕草とか台詞の調子とか、何度も見返して反芻しては理解を深めて楽しんでいくタイプの作品だと思うんだけど、
TVアニメシリーズと違って、映画だと手軽にリピート出来ないのが辛いところですね。
つまりもう1回見に行けということなのか。ぐぬぬ……。

*1:最終的に希美の抱えるコンプレックスや罪悪感を知り、それでも明るく振舞おうとする姿を見たあとは「みぞれにやったことはひどいと思うけど、希美のことは嫌いになれない」という結論に至っていますが

*2:これはアニメのみぞれキャラデザが大変可愛らしかったというのも大きいでしょうけど

*3:リズ青の後でアニメ2期見返したら、みぞれが希美のフルートに対して「この音聞きたくない…」と吐き気を催すシーンが辛い