今更ながらデレアニの感想を書きなぐってみる

放送終わってからどれだけ時間経ってんねん、って感じですが、
今更ながらシンデレラガールズのアニメについて適当にアレコレ書いてみようかなと。
気付けば明日はもうライブの日らしいので、まあそういう意味ではある種良いタイミングなのかもしれない、と自己弁護。
わざわざ見返したりせず記憶頼りで書いてるので、いろいろ内容おかしいかもしれませんがご容赦ください。

※別にどっちが良い作品かとか優劣をつけたいわけではないんですが、
アニマスと比べてここが良かった・悪かったみたいな話がけっこう多くなるので、
そういうのを不快に思う人にはごめんなさい。

シンデレラガールズのアニメとして


まず、"シンデレラガールズのアニメ"として良く作られていたなあと素直に思います。
公式のやらかしで混沌状態にあったり、そのせいでファンが繊細で過敏になってたり、
設定上の制約がいろいろあったりといろいろ大変すぎた本家アニマスに比べれば、シンデレラガールズのアニメはだいぶ作りやすい状況にあったとは思うけど、それでもやっぱり厄介だろうなあと思ってた点はあるわけで。
例えばその最たる例なのがキャラクターの多さなわけだけれど、
NG3人>その他CPメンバー>CPとよく絡む子>喋る子>モブ出演
ってな感じでのリソース配分が実にいいバランスで、
シンデレラらしいキャラたくさんでの賑やかさを保ちつつ、
かつそのせいで話がとっちらかることもなく主要キャラ達のストーリーをしっかり展開出来ていたんじゃないかなと。
アニメで新しくボイスがつく子を用意したことで、
本編の物語以外の面でもファンに期待と興奮を抱かさたりとか、
あの子がモブで出てる!的なお楽しみ要素を散りばめたりとかで、様々な面から話題性を作ってた戦略も上手かったなと。
「今回の話のここがよかった!」以外に「○○に声がついた!」「××が出演してた!」的なお祭り騒ぎもあるわけだから、
元々原作のキャラを知ってるファンからしたら、一話ごとの濃度がとんでもないアニメだったんじゃないかなあと。

キャラの扱いでいえば、CP以外のメンバーをただの仲間じゃなく、先輩だったり後輩だったりいろんなポジションで登場させたのも良かったですね。
皆横一線だけじゃないことで世界感がぐっと広がってたと思うし、
先輩に導かれ、その教えを後輩に伝え…と切り口が増えることでCPメンバーの物語もより豊かになっていたんじゃないかと。

キャラの捌き方以外にも、
スカウトから始まる物語とか、でっかい事務所とか、寮の描写とか、
アニマスとは違うデレマスならではの要素、デレマスらしい楽しみがあったように思います。
物語の展開にも、「こういう展開まさにモバマスらしいわー」みたいな反応がけっこう多くて、
まあ中にはこじつけがすぎるようなものもあったのは否めないけど、
ともあれアニメのスタッフがどうやってモバマスの世界感を取り入れようか、どう描写したら面白いかとかよく練ってきた作品だってのはすごく伝わってきましたね。

ユニット


デレアニで個人的に一番良かった点はといえば、何といってもユニット展開でしょう。
アニマスの頃もユニット組ませて欲しい、もっと公式でのユニット物語が見たいって思ってた身としてはデレアニのこの展開はガッツポーズものであり、また羨ましさが募るものでもありました。
元々あんまりプロデューサーという立場にこだわってなくて、どっちかというとアイドル同士の絡みを見るのが好きなので、
やっぱりPとアイドル1対1で向き合っている時よりも、2人3人と輪が広がる中で新しい魅力が見えてくる…って感じのが好きなんですよね。
デレアニの中だと唯一ソロユニットだった蘭子の個人回とかは、
一人にガッツリ焦点絞ってキャラ紹介と基本的な魅力をきっちり描いてた模範的な出来栄えだったけど、でも投げられたものは予想の範疇って感じで。
それよりもキャラクターのとの組み合わせによる化学反応で新しいムーブメントを生み出したラブライカアスタリスクとかこそ、そうそうこういうのをやってほしかったんだよと滾るものがありました。

それからユニット展開におけるドデカイ利点として、コミュニティを増やすことでその中で個々のキャラクターに役割を担わせることができる…というのがあるよなあと思っていまして。
というのも大人数の集団だけを描いていると、どうしても中心人物の目立つ子と、大人しい・賑やかし要因にすぎない空気な子ってのが出てきちゃうと思うんですよね。
例えばアニマスだと765プロ全体を描くとき、大抵話を動かしてるのは信号機と伊織・真辺りで他はあんまり印象に残ってない。
デレアニでもそれは一緒で、CP全体で動くときに中心になるのは大抵未央とみく、あとは美波リーダーくらいでほとんど話を回していたようなイメージがあります。
しかしユニットという2,3人単位での小さなコミュニティを別に用意することで、
大人数の話では空気になる子にもそれぞれのユニットで引っ張り要因、縁の下の力持ち役とか自然に役割が生まれていって、その働きの中で魅力が見えてくるわけです。
アニマス765プロ13人の中だと晩成型で未熟な妹分みたいなポジションに終始していたやよいや雪歩も、もっと小さなコミュニティの中に入れてみたら別の役割が生まれてもっとポジティブな側面を見せられたんじゃないかなあとか惜しく思ったり。

一方、ユニット展開自体は全面的に支持しているうえでちょっと不満が残った、惜しかった点が2つありまして。
一つは、主役ユニットのNGがあんまりユニットとしての魅力を感じとれなくて、
「主役の三人だから組ませてるんだろうなー」という感想以上のものを抱けなかったこと。
凛と未央の境遇の対比性の楽しさとかを見ても、
この三人は別々のユニットを背負っていく方が熱いんじゃないかって気がしますね。
そういう意味では、終盤のトラプリ、ピンキーキュート*1、ポジティブパッションの原作ユニットに分かれていく流れはとても良かったですね。ちょっとトラプリだけ抜きん出ててバランス取れてない感はあるけど…w
あと、「ニュージェネレーション」って響きが凄く気に入ってたんで、「ニュージェネレーション〝ズ"」になったのがヤだなーって感想見かけたのはわりと共感できた。

もう一つは、「CANDY ISLAND」の杏>>>ちえりかな子って力関係が最後まで崩れなかったこと。
これは僕が支えつ支えられつ、お互いがお互いを必要とする関係に異常に拘ってる人間なのが大きいんでしょうけど。
前半の主役回で杏がバリバリ引っ張っていった分、
後半は成長した残り2人と立場が逆転するような話を期待してたので、
杏がいなくてもやれるよ!という姿で成長は描けても、ユニット内の力関係自体は変わらないままなのはガッカリでした。
僕が雪歩派としてアニマスのゆきまこやたかゆき描写に文句言ってるのは、
雪歩が一方的に2人に支えられてるままで、2人がいっつも保護者面で雪歩を見守ってる感じが気に入らないからでして。
こういう関係のままだと、どうしても株が上がるのは上の立場にいる側ばっかりになっちゃうし、
お互いにいい影響を与え合ってる感じがしないと、その組み合わせ自体も魅力的に見えないんですよね。
デレアニのちえりかな子はアニマスでいう雪歩やよいポジション感あって、
せっかくアニマスと違ってユニットという小さなコミュニティを用意できたのに、
結局そこでもあんまり立ち位置変わんないどころかむしろ強調された感あったのはすごく残念でした。
雪歩やよいにしてもちえりかな子にしても彼女たちなりのペースで成長はしてたり、
後輩に対する接し方とかで成長を描けてはいるんだけど、
それだけじゃなくて、ワイは晩成キャラが序盤の強キャラたちを脅かすビックリするような成長を遂げてくれる光景を見たいんや……。

キャラクター


個々のキャラクターを見ていくと、アニメ通して自分の中で一番株上がったのは間違いなく前川みくでしょう。
アニメ前はにゃーにゃー言ってる変な子くらいの印象でしたけど、まさかプロ意識高い努力と根性の人で常識人ポジションもこなす伊織的な立ち位置とは。
こういうポジションのキャラは例外なくツボなので、話数を経るごとにどんどん好感度上がって行きました。
世間的にもそれは一緒というのが総選挙の結果で如実に表れていて、やっぱそうだよなあうんうんと頷いてました。
シンデレラはこういう人気推移の模様がハッキリと数字で出てくるのが残酷でもあり魅力的でもありますね。
CPの話を動かす中心メンバーとして全編にわたって存在感を発揮し、
アスタリスク回では対人的な魅力が描かれ、ウサミン回でイロモノキャラ作りアイドルとしての矜持まで描いてもらえて。
このキャラの描写が正解だったかどうかとか語れるほど原作モバマスに詳しくないんですが、
少なくとも私個人の視点からしたらこのキャラクターの描写が100点に近いものがあったんじゃないかなあと。

他に株が上がったのは、
現実的に馴染ませる作風のおかげで以前よりは親しみやすくなった杏ときらり。
溢れる大物感と15話での活躍が素晴らしかった楓さん。
面倒見のいい姐御肌先輩という美味しい立ち位置だった城ヶ崎姉。
終盤の展開で、めんどくさい卯月をちょっと一緒に仕事しただけの縁で気遣いまくってるぐう聖っぷりが際立ってた小日向美穂さん。
あとは何だかんだで、
作中外の動きも含めて立ち位置そのものが面白いと改めて感じた凛と未央、
そしてsmilingのエピソードでようやく何も感じるものがないキャラから脱却できた卯月のNG3人もかな。

反対にこのキャラのこの描写は改悪だ!みたいなのはアニマスと違って語れるほどの前提知識が無いのでそんなに気にならなかったんですが、
上述のように、ちえりかな子が「自分たちなりに」しか活躍できなくて立ち位置固定されてる感あったのは残念だったかな。
それから未央と、後半は凛もけっこうヘイト買ってる様子を見受けられたのがもにょりどころ。
まあ中には「いやいやそれでこのキャラ叩くのはおかしいでしょ」みたいなのも少なからずあったし、
できる限り平和に!穏便に!なんてあんま要求したら制約だらけでつまんない作品になりかねないというのもあって微妙なところなんだけど、
自分の贔屓の子がそういう立ち位置になった場合とか考えると、やっぱり特定のキャラにヘイトが集まりかねないような展開になるのは複雑だなあと。
未央の件とかストーリー全体のおおまかな流れはあのままでも、細かい経緯とか台詞回しとか変えればもうちょい上手いことやれたんじゃないかなあという気が。

普通の女の子の物語


アニマスのアイドル達がワイワイと個性丸出しで貪欲に生きていたのに対して、
デレアニは寮の描写とかキャラクターの生活感を感じられるような部分が多くて、リアリティ・人間味を滲ませるような作りになっていた印象があります。
あとは作品の象徴となる中心3人が普通の女の子だったのもそれを助長してるのかな。
杏とかきらりみたいな容姿と基本設定だけでもう濃度高すぎるような子達も、
あんまりその変人ぶりを強調しないからそのうち世界に溶け込んでいくし、
元々強烈すぎないような子達は本当にそこかしこにいてもおかしくないような自然な生活感を身にまとっていた、決して無個性ではないけれど「普通の女の子」だった。
シンデレラはインパクト重視の個性特化集団みたいなイメージだったけど、
気付けば突然穴掘り出したりSPと格闘したり動物と会話したりする765プロの方がよっぽどキテレツ集団みたいになってるような…w
あのキャラ人数と癖のあるビジュアル多数でも作品全体から混沌とした印象を受けなかったのは、この作風によるものが大きかったんじゃないかと思います。
全体として統一感はでるし、個人的にも杏やきらりを若干受け入れやすくなったしでこの路線とは相性良かったかな。自然な世界感の分、日常会話が成り立たないレベルの蘭子だけは逆に余計に違和感強くなった気もするけど。

一方で、そういう「普通の女の子の物語」であるが故に、キャラクターに共感して感動するという体験が不足していた気が。
シンデレラのキャラクターたちは「なぜアイドルに(トップアイドルに)なりたいか」という目的意識をあまりハッキリと語られないんだけど、
それは「女の子はみんな、可愛い衣装を着て煌くステージでキラキラすることに憧れるもの」というのが当たり前の前提だからって空気を感じます。*2
なんだけど僕はこの、女の子なら〜っていう当たり前の前提というのにどうもイマイチ共感できないみたいで。
たぶんアイドルアニメが好きっていうような人なら大半はこれを自然と共有できるんでしょうけど、
僕は偶然ニコマスと出会いからアイマスに流れ着いてきただけで、元々はアイドルなんて大して興味なかった人間ですからねえ。つまるところアイドルものにそもそも向いてないんでしょうw
それが765の子達に共感でき応援したくなれたのは、
よく言われてるように「アイドルで成功して家族を見返す」とか「アイドル活動を通して自分を変えたい」とかいうアイドルそのもの以外の目的があり、
作品のテーマとしてそれを強調されているのがデカいんだなあと改めて気づきました。
シンデレラはキャラとして魅力的だと思う子はチラホラいても、
応援したい、成長を見守りたい、トップアイドルにしてあげたいという所謂「プロデューサー目線」になれる子が今のところ見つからないんですよねえ。強いて言えば作中外の境遇が逆境すぎる未央くらいか。
終盤の卯月の物語なんかも全体的な展開自体は好みなんだけど、
そもそも卯月が何故そこまでアイドルに憧れるのかという前提を分かち合えてないので、もう一歩踏み込んで感情移入できなかったなあと。
ただ、765で唯一純粋にアイドルが主目的になってるとか言われている春香さんも、
「公園での歌のお姉さんとの出会いが〜」みたいな原作エピソードを通して彼女との共感を育んでいって、
アニマスの皆で楽しく歌うのが好きというアンサーにも納得できることができたので、
卯月達にもそういうワンエピソード、例えば「小さい頃テレビで見たトップアイドルに憧れて〜」みたいなのがあれば、もっと彼女達の思いに歩み寄ることが出来るのかなあなんて。
(実際、姉という具体的な理想ビジョンがある莉嘉なんかは他の子達よりも共感しやすい。)
そして、そういうエピソードはもっとしっかりコンテンツを追いかければちゃんとそこらかしこに転がってるのかなあとも。

後半のストーリー


前半、1クール目の物語は無難に面白く仕上がっている感じで、
本田未央騒動以外はそんなに取り立てて何か語りたくなるようなことはなかったんだけど、
2クール目からは良い点も悪い点も際立つようになって、良くも悪くも毎週非常に刺激的な視聴体験になっていきました。

後半のポイントは何といっても話を動かすキーマンとして出てきたオリキャラの美城常務なわけですが、
その登場回で、いきなり346アイドル最強の大御所ポジションだった楓さんと火花散らすという幕開けがもう凄く面白くて。
いきなりこんな大物にそっぽ向かれてこの人大丈夫なんかいなと常務の株を心配しつつも、
話単体の面白さと、こういう最強格のキャラが先陣を切って動く展開が大好物なのとでいきなりグッと引き込まれましたね。
その後も「346のあるべき姿」を求めては「私らしい生き方」を口実に振られるというパターン化した展開を繰り返し常務株は下がる一方だったけど、
個々の話自体は毎回よく出来ているし、
続々と346プロのアイドル達がCP勢力に加わっていく流れには何だかんだけっこうワクワクしてました。
常務の扱いも、まあこの人を踏み台に楓・菜々・美嘉・夏樹と皆いい感じに描写されてるし、
所詮オリキャラなんだからアイドル達を魅力的に描くためのピエロに成り下がっても別にいいんじゃないかくらいでそこまでは気に留めてなかったかな。
そして、ここまでのパターン化した一連の流れ、特にウサミン回とかに代表されるように、
「個性の尊重」というのが一番のテーマになって、それを描くためにアンチ役の常務を用意したんだろう。
こういうテーマを掲げてくるのは、まさに個性的集団のモバマスらしくて素敵だなーとか考えてました。

ところが、この流れを崩してNGメインの展開に入ってきた辺りからちょっとその辺がうやむやになってきて。
大事なところを全部曖昧なポエムでふわっとさせる作風も相まって、
最終的に、全体として何をしたい作品だったかというのがイマイチ分かんないような感じになった気がします。
別に娯楽作品に明確なメッセージ性だのテーマ性だのが特別必要だとは思いませんけど、
この作品といえばこう!って言える大きなものが一つ見い出せた方が、やっぱり作品全体として綺麗に締まった感があって印象良くなるような。
デレアニ全体で興奮したシーンを挙げると、
未央のソロデビュー宣言、卯月のsmiling、楓さんvs常務とか2クール目のシーンばかりが思いつくので、
瞬間瞬間として楽しかったのはやっぱり後半の方なんだけど、全体を振り返ってみるとどうも腑に落ちないものが残るなあとw

逆に後半の展開全体で良かった点といえば、
菜々夏樹らゲストの参戦や逆に凛アナスタシアの出張など、CPという形に拘らずどんどん主要キャラ達の世界を広げていったことかな。
放送始まる前からずっと、デレアニにはアニマスと同じ「CPは最高の仲間、ずっ友だよ」的な展開は避けて欲しいなあと思っていて。
同じことの繰り返しになるからってのもそうだけど、単純にデレアニでこれをやっても響かないだろうというのがありましたからね。
賛否両論なアニマスの「みんなずっと一緒」展開は、あくまで平行世界の一つの描写としては個人的にわりと気に入っているんですが、
一緒に歩み続けてきた765プロと違って、所詮アニメのために偶然集まった14人でしかないCPでこれをやっても同じようにはいかないよなーと。
だからCPに拘らなかった展開で結果的にCPのアイドル達はより魅力的に描けていたと思うし、
CPが既に2期メンバーへと移行してたり、
かつての仲間たちが皆それぞれの持ち場に散っていった後、ライブで再び結集するというエピローグは見ていてグッとくるものがありました。

クソポエム


個人的にデレアニでもっとも引っかかった、どうも一言文句言ってやりたいという欠点が脚本のポエミーっぷりでして。
1クール目見てるときは全然気にしてなかったんだけど、
2クール目、常務が出てきてからは常務もPもアイドルたちもみんなポエムチックな台詞ばかりになって凄く寒々しかったです。
まず、せっかく生活感ある自然な空気を描けてたのに、
いかにも芝居がかったポエム台詞が入ると一気にぶち壊しで水を差されたような気分になるのが良くなかった。
そして何より、ストーリーの中の大事なことをひたすら
「光」だの「魔法」だの「冒険」だのと抽象的な言い回しで表現するものだから、
「えっと、つまりこの台詞の言わんとしいることは…」と解釈するためのワンテンポが挟まってしまって、
大事な言葉が全部直球で胸に響いてこなくなり、あれもこれも空回りしてしまったのがダメダメでしたね。

最終話のライブシーンの舞台袖で、
アニマスは脇役の小鳥さんが涙を流すというシンプルな感情表現に共感してこっちもグッときてたのに、
デレアニは物語を牽引してきたPと常務の2人が、いい大人のくせに気取ったポエム会話を交わしてる光景をクソ冷めた目で見てしまったという結果で、
デレアニのポエム脚本はホントクソだったな!という評価が決定的なものになってしまった感じがします。
プロデューサーも普段はアレだけ口下手で実際それが原因で問題を起こしたりもしてたのに、
常務とポエムトークするときは急に饒舌になってスラスラとカッコイイ言い回しが出てくるものだから、
「お前それだけ上手いこと喋れるなら、アイドルにももっといい感じの言葉かけてやれよ!」
…って感じで、ポエムのせいでじわじわ好感度下がっていっちゃった気がしますね。
まあ常務と会話するときは確か部長とかもポエム製造機になってたので、
悪いのは相手を皆ポエム時空に引きずり込んでしまう常務(と脚本)なんでしょうけど…w

ともかく、元々気取った言い回しとか回りくどい皮肉とかが嫌いでもっとストレートな言葉をぶつけろよ、って思ってしまう性分なので、この脚本のセンスは全く肌に合わなかったです。
その影響もあって、「この時計の演出の意図は…」みたいなファンの考察大会もだんだん冷めた目で見るようになっていきましたね。
ただ、そういう盛り上がりがあったようにデレアニのこういうポエムチックなノリが大好物な層もいるのでしょうから、あくまで一個人の感想ってことで。
デレアニは全体的な作風が少女漫画チック、みたいな論評をけっこう見かけたので、
100%少年漫画だけで構成されてきた自分の感性には、デレアニの女性監督による少女漫画的センスは相性が悪かったのかなあとか考えたり。
まあそもそも少女漫画をほとんど知らないので本当にあれが少女漫画的なのかどうかとか分かんないんですけど…。

ライブシーン


泣きの総集編を挟んでからの最終話ライブシーンが期待はずれ的な声をけっこう見かけたけど、
そもそも自分はおそらく最早少数派な「ライブシーンはゲームのポリゴンモデルダンスが至高」派だから、
あんまりアニメのライブシーンに絶対的な重きを置いてなくて、その辺わりとどうでもよかったりします。
ただ、アニマスのREADY&CHANGE!!の回り込みカメラからの伊織投げキッスレベルの、
ゲームでは見られないような光景にグッとくる!みたいな視聴体験はデレアニだと無かったし、
それはまあいいとしても、何より確かラストライブに全員のメインカットが用意されてなかったのはちょっとどうなのよ感あったので、せめてそこは頑張った欲しかったかなあとは思うかな。

世間の評判とか

アニメの放送中、私のTL上なんかだととにかくデレアニの放送中はほぼ絶賛一色で、
古参の人たちが「アニマスクソだったけどデレアニは素晴らしい!」みたく言ってるのをチラホラ見かける一方で、その逆はほぼ皆無だったので、
自然と「常に練り上げられた脚本でキャラクターを魅力的に動かしてて、奥の深い演出が施されてるスーパー神アニメ」みたいなイメージが出来上がっていってたんですが、
ふと距離を置いて他の世間の評価なんかも見てみると、意外に否の評価も多くてちょっとビックリさせられました。
特に、終盤は「いや、そこまで言うほど悪くないでしょ…」って言いたくなるようなバッシングの嵐になってるところもチラホラあったりして。
まあ話題性のある作品だから所謂信者もアンチもいっぱいいるんだね、と結論づけてしまえば簡単だけれど、
もうちょっと考えてみると、言い方はアレだけどデレアニはアニマスよりも「信者向け」な作りだったのかなあと。

内輪での受けがいい要因として、
まず積極的な理由として思いつくのが、ファン目線からするとサービス過多で密度がものっすごく濃いこと。
モブ出演含めたキャラの多さに突然のボイス付き発表とかのプロモーション戦略、
あとはシナリオ内でも原作要素を上手く拾い上げててグッとくるような描写が多くて、興奮感動ポイントが随所に散らばってましたからね。
放送が終わったあと、語るべきことが多すぎてあれもこれもと毎週お祭り状態になってる光景はすごく印象的でした。
あとは消極的な理由として、ファンが765ほど拗らせてない、俗に言うと「モンペじゃない」ってのもあるかなあと。
自分の視界に入ってくるのが765に対して拗らせすぎな古参ばかりってのもあるんでしょうけど、
やっぱり長い年月で「自分の中のアイマス、アイドル」を膨らませすぎていたうえに、
直近のアイマス2騒動をはじめとする公式の所業あれやこれやでファンの繊細っぷりは765の方がずっと上だったんじゃないかなと。
それにアニマスだと「13人平等であるべき」って考え方が多くて、不遇な子に対する文句が噴出する一方、
デレアニはあんだけ人数いると平等もクソもないっていうのもけっこう大きい気がする。
ちえりかな子とかアニマスだともっと扱いに対して文句出てそうなポジションだと思うんだけど、
デレアニの場合メインの中での扱いは悪い方でも、そもそもCPメンバーに選ばれた時点でそれなりに勝ち組って感じになっちゃいますからね。

逆に内輪ほど外での評価は良くならない要因として、
思いつくのは物語全体を通してややカタルシスに欠けていたのかなーとか。
アニマスでいう13話の逆境を跳ね返す美希とか、20話の765プロ感動物語→21話の千早復活ステージとか、
わかりやすくスカッとシーン、感動できるシーンっていうのがあんま無かったんじゃないかと。
一話完結の話の中では素敵なシーン凄く多いんだけど、
複数話にまたがる全体的な大きな話のシーンでは、
病欠とか微妙な引っかかりどころがあったり、ポエムでふわっと包んだりで、
溜めてきたフラストレーションをエンタメ的に気持ちよく解消してくれるというのがあんま思い当たらないんですね。
それから、当然だけど内輪では絶賛されるファンサービスも気づかなければ、知らなければ響かないよねという。
モブやらボイス発表やら原作要素再現やらを流してしまうのももちろんだけど、
個人的にファンとそれ以外で一番大きい分かれ目になると思うのが、トライアドプリムスの結成展開
あれはトライアドプリムスというユニットに思い入れがありその特別感を知っているファンなら待望の展開なんだろうけど、
特に前提知識がなければ、あのアニメの描写だけでそれを感じ取るのはなかなか難しいだろうなあと。
そうなると凛がビビッときてTP入りを決意する展開とかも脚本の都合感が一気に強くなるし、
これを引き金に起こるその後の未央や卯月の物語まで通して茶番っぽく見えてくるやもしれません。
あとは散々シリアスを引っ張った上での卯月smilingは上述したようなカタルシス要素に唯一相応しいシーンだと思うんだけど、
あれも一連の話のオチをあの曲に全て投げているので、
smilingという曲に思い入れが無かったら特に響かず、何か無理やり解決した空気になってるように見えるんじゃないかなー…とか。

良かった点も悪かった点も思いつくがままに書きなぐってきたけど、
ともあれ、私個人の総評としては非常に楽しませてもらった良いアニメだったと思います。
デレアニのおかげで新たに魅力を発見できた子もいたし、シンデレラガールズというコンテンツ全体もアニメ前より好きになれたんじゃないかなと。
ただ、最近ひとつ気がかりなのが、アニメ後の中心メディアになりそうなデレステがモロにアニメの設定を引き継いでいることで。
アニメは確かに面白かったしあの世界観も過剰ポエム除けば素敵なものだとは思うんだけど、
シンデレラガールズという可能性の宝庫であるコンテンツを、そこだけに限定しちゃうのはあまりに勿体無いよなあと。
アニメはあくまで素敵な可能性の一つに留めて、どうかあの世界観に縛られすぎないでほしいと思う今日このごろです。

*1:卯月美穂にちえりが加わるのがピンキーキュートで、五十嵐響子ちゃんが入るのはピンクチェックスクールっていうみたいですね。全くこれだからにわかは‥

*2:余談だけど、アニマス以降くらいからやたらよく聞くようになった「キラキラしたい」っていうフレーズが何となくあんまり好きじゃなかったりする